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南国市って?About us

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※のーがえいとは土佐弁で「塩梅がよい」
「ちょうどよい」「心地がよい」などの意味です。

地図

県庁所在地である高知市の東隣に位置し、高知龍馬空港やJR後免(ごめん)駅、南国ICなどが交通の便が優れた場所です。
『土佐日記』の著者である紀貫之が過ごしたとされる邸宅や、四国をほぼ統一した戦国武将・長宗我部元親の居城であった岡豊城跡など多くの歴史資源があります。 近年は個性的なカフェや飲食店が多く出店しており、女性を中心に訪れる方が多いのも特徴です。南北に長い地形で、南部は太平洋や二期作発祥の地でもある高知平野が広がり、北部は坂本龍馬先塋の地・才谷や四方竹(しほうちく)の里・白木谷(しらきだに)が位置しエリアごとに異なった魅力を感じていただけます。

鳥

地図

人口
46,999人(2020年8月31日現在)
面積
125km2
主な産業
製造業、農業
特産品
ししとう、大葉、小なす、
ごめんケンカシャモ、四方竹など
主な観光地
西島園芸団地、高知県立歴史民俗資料館、長尾鶏(おながどり)センターなど

野菜

アクセス
飛行機で
高知龍馬空港まで
東京から約1時間15分 大阪から約40分 名古屋から約1時間 福岡から約1時間
車で南国インター
チェンジまで
大阪から約3時間40分 岡山から約2時間
高松から約1時間40分 松山から約1時間50分
列車で
JR後免駅まで
新大阪駅から約3時間20分 岡山駅から約2時間30分 高松駅から約2時間
JR高知駅から
JR後免駅まで
普通列車で約20分 特急列車で7分
路面電車の
高知駅前から後免西町まで
はりまや橋乗り換えで約45分

飛行機

南国市出身の著名人

三山ひろしの写真

三山ひろし演歌歌手

長岡小学校出身の私は南国市には思い入れも強く、天然の湯 ながおか温泉も最高です。子供から大人まで楽しめます。
自然豊かで生姜が美味しく、人が優しい南国市は三山ひろしの原点です。
歌手として初心忘るべからずの精神で、皆様に喜んで頂けるステージを心掛けていきますので、是非コンサートにお越し下さい。
皆様にお会い出来る日を楽しみにしております 。

http://h-miyama.migan.co.jp/

https://twitter.com/hiroshiouentai

島井 咲緒里の写真

島井 咲緒里女流棋士二段 / 公益社団法人 日本女子プロ将棋協会 業務執行理事

将棋好きな祖父に教わったのがきっかけ。6歳の頃に覚えてすぐ、南国ビジネスホテルでの将棋道場に通い始めました。中学三年生の1年間東京に通い、高校に上がると同時にプロデビュー。
現在はプレイヤー兼協会の理事として、大会やイベント運営、将棋グッズ開発などに携わっています。音楽と将棋のコラボイベントを主催など、オリジナリティのある普及を目指しています。将棋の楽しさがより多くの人に広がりますように。

http://joshi-shogi.com/profile/

https://twitter.com/saori_shimai

岡林 裕二の写真

岡林 裕二大日本プロレス プロレスラー

南国市生まれ南国市育ち!!
南国市と言えばやっぱりひまわり牛乳!!
幼少期から学生時代の給食の時間はこれを飲んで育ちました。
プロレスラーとして強靭な体を作れたのも学生時代にひまわり牛乳を毎日飲んだおかげです!!
今でもたまに東京にある高知のアンテナショップでリープルやコーヒー牛乳も買って飲んでます。
ひまわり牛乳最高ぜよっ!!
そして私の実家の岡林仕出し店も宜しくお願い致します!!
ピッサリ ✌

https://bjw.co.jp/

https://twitter.com/bjw_pissari

長宗我部元親の写真
絹本著色長宗我部元親像(部分)奉神社蔵

長宗我部元親土佐の戦国武将

わしが生まれ育ったのは岡豊の地。 お家復興を果たした父・国親の思いを23歳で継いだ。この地から15年をかけ、天正3年(1575)、土佐を統一。さらに10年、四国をほぼ制覇するも豊臣秀吉に敗れて、土佐一国を安堵された。悔しいことだ。
居城とした岡豊城跡は、自然も生かした防御も堅固な自慢の山城だ。 今も遺構が残る岡豊城跡に立てば、眼下に高知平野が広がり、太平洋まで見渡せる。わしの見た景色を共に見ようではないか。待っておるぞ!

高知県立歴史民俗資料館HP

南国市ゆかりの人物

やなせたかしの写真
©やなせたかし
©やなせ・F・T・N

やなせたかし漫画家・詩人・絵本作家・イラストレーター

「アンパンマン」シリーズの作者で漫画家・詩人・絵本作家・イラストレーターのやなせたかし氏は、小学校2年生から約10年間を、南国市駅前町にある伯父の自宅兼診療所の「柳瀬医院」にて過ごしました。
青年期や漫画家を志すようになった後は高知県を離れますが、晩年には旧柳瀬医院跡地に残されていたライオンの石像を、自身が通った後免野田小学校に寄贈。「やなせライオン」と命名され親しまれています。そのほかにも、同学校キャラクターの作成、ごめん・なはり線の後免町駅に「ごめん生姜地蔵」の設置、後免町商店街に7体のアンパンマンキャラクターの石像の設置協力など、精力的な地元振興に努めました。
2004年には南国市後免町を全国にPRする目的で、やなせたかし氏の発案により「ハガキでごめんなさいコンクール」が始まりました。同年、南国市名誉市民。
2013年、94歳で永眠。
2016年には旧柳瀬医院跡地が(公財)やなせたかし記念アンパンマンミュージアム振興財団によって「やなせたかし・ごめん駅前公園」として整備され、子供たちの遊び場として開放されています。

やなせたかし・ごめん駅前公園

ごめん生姜地蔵

後免町店街

やなせたかしロード

ハガキでごめんなさい全国コンクール

南国市観光案内人の会(観光ガイド)

香美市立やなせたかし記念館

紀貫之の写真

紀貫之平安時代の歌人

「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」で始まる日本初のかな日記文学「土佐日記」の著者・紀貫之。
平安時代の10世紀、土佐国の第48代国司として赴任した紀貫之はここ南国市・比江にあった国庁内の邸宅に住んでいたと推測されています。貫之は約5年間の国司の期間を過ごし、京都の自宅に帰るまでの55日間を57種の和歌と共に書き記しました。紀貫之邸跡や隣接する古今集の庭、土佐国衙跡など地元のガイドによる案内も人気です。

紀貫之邸跡

土佐日記門出のまつり

紀貫之邸跡のコスモス

南国市観光案内人の会(観光ガイド)

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